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【ネタバレ】Fate/Samurai Remnantストーリー感想【批判気味】

可惜夜に希うエンドに関しては、Fateファンはこれでいいのか疑問

 Fate/Samurai Remnantのストーリーとキャラクターの感想の記事。

 がっつりネタバレなので閲覧注意でお願いします。

 

 また、トロフィーに関しては取得が面倒だと思ったものをまとめているので、よければそちらもどうぞ

sorehododemonai-gamer-a.hatenablog.com

 

 

 

 

総合評価と結論

大作と呼べるアクションRPGだったと思う、が……

 『コーエーFateを作る』で話題になった今作。

 無双の戦闘システムに近いことで無双ファンもターゲットにしつつ、Fateらしい展開を追った作品だったと思う。

 しかし、2周目以降に見れるエンディングである『可惜夜に希う(あたらよにねがう)』はどうしても好きになれない。

 自分は主人公が最後に倒れる、というエンディングそのものが好きではないので、どうこねくり考えても好きになれない終わり方だ。

 この結末があることに関しての是非は問えない。物語の終わり方に関してはクリエイターの想いが詰まる場面だから。

 なので、このエンディングを目指した作品でした!という作品があること自体は良い。あとはそれが好きか嫌いかはユーザーの個人の感想だからだ。

 だが、このエンディングを実装したいがためだけの辻褄合わせがなかなかに酷かったように思える。「可惜夜に希う」のために、周りのキャラクターの舞台装置化(ご都合主義のためにキャラクターの在り方を変えてまで結末に合わせさせる意)は見れたものではなかった。

 

 個人的に楽しめたのは「復讐の焔」。

 このエンディングも少々雑だな、と思うところはあったが、他のエンディングよりかたは読了感というのを楽しめ様に思える。

 このエンディングを最後にしたかった、という想いが今でもある。

 

 

バトルに関しては2周目までは楽しめると思う

 五輪書に倣った主人公の操作方法が秀逸で、好きな戦闘スタイルで戦えるというのは個性を出すことができて面白かった。

 最終的に自分は最大リーチの長い空の型ばかりを使っていたが、速度が早く爽快な水の型、当て身を狙って大ダメージを取れるを土の型、体力が減った状況限定だが高火力の火の型、中距離からも魔術でバンバン攻撃できる空の型、など、バリエーションの多さを楽しむことができた。

 難易度はイージー(剣士)、ノーマル(剣客)、ハード(剣豪)、二週目以降のベリーハード(剣鬼)が選べ、自身の目的によって変えることが良い采配だった。

※とはいえ、難易度に関してはメインターゲット層がアクションゲームではないFGOプレイヤーが対象な以上は付けないといけなかっただろうが。

 

 3週目以降に(宮本伊織のレベルが70以上になると)ただ敵が硬いだけ、というものになる。この部分は賛否あるだろうが、どんなにゲームが下手でもレベルを上げたら倒せる目があるというのは大事なことだと思う。

※だが、レベルを上げたら倒せるようにしているのなら、剣鬼モードクリアのトロフィーぐらい欲しかったのも本音。

 

 これからFate/Samurai Remnantのトロフィーを狙う人は、二週目までは剣豪や剣鬼の難易度を楽しんで、3週目以降は剣士モードでさくさく進めることを強くおすすめする。

 

 

各種シナリオと各種キャラクターの感想

一条の光

 由井正雪と共に鄭成功・キャスターの余り物ペアを倒す話。

 俺の大好きなドロテアが生き残るルートだから自分にとっては救いのあるルート。

 

 由井正雪「伊織くんに光を見た!しゅき!」という豹変っぷりの温度差に風邪を引くプレイヤーもいそうな話だが、Fateは人造人間(ホムンクルス)は道具に人の心を付けるという解釈も取っているため、仕えるべき主を失った道具(由井正雪)が、仕えるべき主である宮本伊織に焦がれたとも取れる。

※ゲーム内で説明不足のため、Fate/Samurai Remnantだけをプレイしているユーザーには違和感が凄いだろうが……。でも、このあたりの感情の話も可惜夜に希うで台無しだったが……。

 

 最後の擬神招来・八十禍津日神(ぎしんしょうらい・やそまがつち)戦はモンハンのリオレウスを彷彿とさせるようなモーションだったため嫌いな人も多いらしいが、個人的には最後のボスがデカい!というのはRPGらしくて好き。

 モンハンと違い周回する必要もないため、ヘイトはそこまで集めないボスだったとは思う。

 

 しかし、キャラクターの扱いに関してはだいぶ雑なシナリオであったと思う。

 まず、地右衛門。伊織から盈月を奪おうとしたが由井正雪に割り込まれて失敗。由井正雪で割り込んできたという事実に呆気を取られて、一刀にて斬り伏せられて退場。

 は……?そんな殊勝なキャラではなかったろう。

 

 自分はこのルートが一周目だったため「こいつこれで終わりなん?ウソでしょ?」と放心してしまった。

 Fateの人気キャラクターであるジャンヌ・ダルクを率いていたにしては、あまりにも呆気ない退場だった。

※地右衛門が死んだため、ジャンヌ・ダルクもその後の出番なく終了。

 

 また、このルートだと逸れのセイバーは土御門に辿り着く前に倒されている可能性がある。まじかよあいつ……英霊じゃないの?

 

 そして、鄭成功とキャスター組。土御門というマスターを失ったために現界に限界がきたキャスターだが、余りものである鄭成功と組むことになる。

 鄭成功・アーチャー組は物語の途中で土御門の術によってアーチャーが操られ、盈月の儀を脱落する。

 これでは扱いがあまりにもあまりなものだったためか、『一条の光』はある意味で鄭成功の活躍のルートとも言える。

 しかし、「リクルートの仕方がだいぶ雑だな……」という感想も沸く。

 アーチャーとの誓いを破りキャスターと組みした形だが、闇落ちといえるほど人間的にズレわけでもない鄭成功

 最後まで正々堂々と有り続ける鄭成功に好感を覚えたが、同時に高潔であったキャラクターの扱いが雑すぎるというテキトーさを感じた。

 この物語のキャスター戦に関しては、マスターは余っているなら誰でも良かった感があるのも否めない。

 

 この展開ならマスターは土御門のままでも良かったのではないかとも思う。土御門はどのルートでも退場してしまうため、土御門を退場させないといけない理由でもあったのだろうか?

 そして、『可惜夜に希う』を合わせて見ると、キャスターが声をかけるべきは鄭成功ではなく宮本伊織だったように思えてならない。

※このツッコミを無くすために、『可惜夜に希う』では地右衛門をキャスターへ突貫させたのかと思うと制作者のエゴを感じる。

 

 一周目のエンディングなので愛着を持ちたかったが、『復讐の焔』『可惜夜に希う』を見た後だと、この2つのエンディングでは回収しきれなかった余りをとりあえず繋げた、という感想が起こる。

 他のエンディングを見てなかったら考察や妄想で埋めれたのだろうが……。

 もう少しキャラクターの組み合わせを丁寧に扱ってくれれば良かったのに、という勿体なさを感じるエンディングだった。

 

 

復讐の焔

 恐らくだが一周目で回ることを想定されているであろうルート。

 地右衛門とジャンヌ・ダルクのペアを一刀にて斬り伏せるのではなく、正面から決着を付けられるルート。

 (再び)カヤを人質に盈月を奪った地右衛門が化け物になって襲ってくる。こういう展開好きです。

 

 ドロテアが死んでいるルートのため、由井正雪はドロテアの配下の人たちに連れられてあっさり退場。

 鄭成功とキャスターがペアを組んでいないのか、この二人も出ることなく終了。

 

 このルートは地右衛門の目的が分かる(物語上ではなく、雑記帳でだが)ため、ある意味で一番人間らしいのは地右衛門だったという事が分かるようになっている。

 なんでジャンヌを喚んだのか、なんでジャンヌを喚べたのかの言及はないのだが、このルートを終えた後はそこはかとなく予想ができる。

 地右衛門は家族に会いたくて盈月でこの世を地獄にしようとしていたが、同時に救いが欲しかったのではないかと思う。

 自分が許されるわけがない、自分を守る価値もない……そうは嘯きつつ、救いを求めた結果、彼のサーヴァントはジャンヌ・ダルクだったのではないだろうか。

 なので、今回のジャンヌは邪ンヌというわけでなく、ただ邪ンヌの装いをしたジャンヌだったということだろう。

※非常にややこしい。キャラクターの創作において衣服の重要性がよく分かった。

 

 ラスボス戦である「盈月の怪物」は少々だるかった。

 八十禍津日神戦に比べるとステージが狭い上に、殴るポイントが分かり辛い。

 また、盈月の怪物の動きが鈍足なので応刀も狙い辛いので爽快感も薄い。

 怪物になるのは面白かったが、もう少しサイズは控えめにしてほしかったのは本音。

 

 

 

可惜夜に希う

 2周目以降に解禁されるエンディング。ネット上ではSamurai Remnant(侍の残り滓)というタイトルと紐づけやすいことからトゥルーエンドとして見られることが多い模様。

 個人的には紛うことなきバットエンド。

 

 盈月の儀を江戸の平穏を乱す悪と断じて戦ってきた宮本伊織だが、このエンドでは「盈月があれば強者と戦え、あの夜に見た剣を目指せる」と願うエンド。

 結果はセイバーに止められ、剣士として満足して死ぬ。

 ネット上では宮本伊織はこのエンディングでしか満たされないんだ!などと言われており、好意的な意見も多いが、個人的に声を大にして言いたい。

 

 主人公が死ぬエンディングを

 アクションRPGでやらせるな!

 

 Fate/Samurai RemnantはアクションRPGとして、主人公宮本伊織を操作して敵を倒していくアクションとなっている。

 アクションゲームにおいて自分で動かせるキャラクターというのは感情移入が大きくなり、物語への没入感を増す要素となっている。

 また、RPGである以上は主人公としてその世界にロールプレイしている形となる。

 敵を倒す爽快アクションと、共にFate/Samurai Remnantという物語を生きてきた主人公が最後に死ぬなんて要素が受け入れられるとは思わないでいただきたい。

 アニメや漫画と違い、ただ見てるだけではない。共に動いてきたのだ。

 その果てが強者と戦って死ぬこと、なんてロールプレイが現代人に受ける筈がない、と強く言いたい。

※ネットの掲示板などでは思ったより好意的な書き込みが多くて驚いている。Fateならなんでも受け入れるのか?と言いたい。Fateファンは本当にこれでいいのか?Fate/EXTRAでは最後まで足掻いた主人公に共感を持ったのではないのか?

 

 面白いシナリオを作れないライターのどんでん返しドヤ!という思想が透けて見えて心の底から辟易した。

※個人の感想です。

 

 主人公が死ぬ、というエンディングだけでも不快だったのだが、それ以上に『可惜夜に希う』までの物語の展開が鼻につく。

 『可惜夜に希う』を本筋にしたかったのか、無理やり入れたかったエンディングなのかは判断が付け難いのだが、『可惜夜に希う』を入れたいがためにチグハグに感じる描写が増えてしまっている。

 

二週目以降に追加される剣鬼への伏線

 1週目では『可惜夜に希う』を見ることができないため、『可惜夜に希う』に辿り着くであろう描写の伏線は少なくなっている。

※1週目でも平穏が再び訪れることを考える描写や、『復讐の焔』『一条の光』の雑記帳項目でそれらしい一文が添えられる。エンディングムービーもこの結末に納得していないかのような蛋白な宮本伊織の描写がされている。

 

 しかし、2周目では「剣の道を極めたいだけの、実はやばいヤツでした!」というのが感じ得られるような会話が逐次挿入される。 

※ゲームの作り的には『可惜夜に希う』で挿入された文章を最初から作成しており、1週目では会話が不自然にならないような箇所を省いているものと思われる。多分。『可惜夜に希う』を入れたいがために後から無理やり追加した可能性もあるが。

 

 セイバー(タケル)からは節々に「君は本当は……」と勘ぐられ、アルジュナから「太平の世には似つかわしくない剣」と評され、李書文からは「剣の道を目指すものが欲を捨てられるのか?」と言われている。

 1週目は特に言及されなかったものですが、2周目からは未読して唐突に挿入される。

 違和感がすごい。

 

 そこまで感じ取れるのならば登場キャラクターやサーヴァントから伊織に対応の仕方も変わってくるとは思うのだが……。

 特に逸れのセイバーは「悪鬼絶対◯すマン」としているわけですから逸れのセイバーから戦友と認められるのが謎ですし、

 本質を出してやろうと積極的になるはずの若旦那が見抜かないのも不自然ですし、

 Fate/EXTRAのタマモを見てきた層からはタマモアリアが伊織を「きれいなもの」と評価するのも違和感あるし、

 本当に強者と切り結びたいのなら逸れのランサー(クー・フーリン)との決着が一対一でないのはおかしいし、

 由井正雪の手のひら返しが滑稽で笑いもおきないし、

 そもそも太平の世が嫌ならば鄭成功の誘いを受けなかった理由も謎だし、

 盈月の儀を恒久的に使いたいならキャスターが目を付けないのも不自然。

 

 なんかもう、とにかく違和感が凄い。

 話の整合性が取れているように思えない。なので、『可惜夜に希う』はある程度ゲームが作り終えた頃に「やっぱこれいれよう!」と無理やり詰め込んだのではないかと思ってしまうエンディングでした。

 なので、主人公が死ぬという点においても、話の作り方においてもバッドエンドだと感じた次第。

 

 

伊織が剣鬼を目指すことに関しては納得

 型月作品は根源に到達するというテーマがある。

 奈須きのこ著の「空の境界」では、死体処理のために死体を食べてしまおう、という猟奇的なキャラクターが存在したりと、自身の内側にある理こそ、その人の本質、というテーマがある。

 

 宮本伊織はゲーム冒頭の語り部の物語が言っていた「盗賊に襲われた村の生き残りの子」であるならば、地右衛門の言う通り地獄を見た人間の一人。

 盗賊の気まぐれで生かされ、自分の死すら予感できた賢い子が、唐突に現れた剣聖の剣を見て救われたら、確かに剣を目指したくもなるし、その凄惨な経験から人として壊れたとしても仕方がない過去を持っているキャラだろう。

※伊織を救った剣聖を宮本武蔵と見ている人もいますが、ゲーム中の雑記帳にて「謎の剣聖」という表記があるため、宮本伊織を救ったのは宮本武蔵ではない模様。なので、宮本武蔵に救われて二天一流の極意を目指している、という解釈は間違い。宮本伊織にとって二天一流はあの夜の剣を再現するための手段でしかない。

 

 宮本伊織がズレてしまっている人間なのは納得。そのため、最後セイバーとの決闘に敗れるという結末自体も有り得る可能性として見れる。

 前記の通り、問題は宮本伊織が剣鬼に至るまでの不自然さ。

 なので、やはり『可惜夜に希う』は無理やり詰め込んだようにしか見えない。

 

 

そもそもセイバーとは勝負にならないハズ

 セイバーとの勝負でセイバーが「君を理解したんだ」という展開も違和感。

 友人と思った宮本伊織を理解するための宮本伊織の型を真似ていたのは分かるのだが、それがいつか宮本伊織を倒すため、というのはこじつけが過ぎる。

 

 「来るか!八岐怒濤」じゃねーんだよ。

 どんなパターンでも「開剣・天叢雲剣」で終わりだろ。

 

 そもそもセイバーが宝具を展開しないのは「伊織に止められているから」であって、本人は元々「え?巻き込まれる人が多くなる?しゃーなくない?」というスタンスだったはず。

 伊織と共に過ごしている内に無関係の人々を巻き込む事に抵抗を覚えたというのは分からない話でもないが、仮にそうだとしたら、伊織がセイバーとの決着を付けようとした場所に違和感がある。

「俺は盈月を自分のために使う。嫌なら止めてみろよセイバー。でも、お前ここじゃ天叢雲剣を使えないだろ?八岐怒濤も全力で撃てないだろ?」

 

 という心意気でセイバーに挑んだことになる。

 そんなダサいことあるか?

 後、伊織お前、燕返しどうした?使わないのか?舐めプか?

「そこぉ!」とか言う前に使うべき要素多かったんじゃないの?

 

 更に、最後の操作キャラクターが宮本伊織であることも違和感がある。

 セイバーを倒して剣鬼として生きるルート、というのなら操作キャラが宮本伊織でも違和感がないが、最終的にはセイバーに倒されるのに操作させるのはRPGとしての気持ちよさが全く持てない。

 開発の方々に対しては「RPGゲームをやったことないんか?」と言いたい。

 

 

 

無理やりな辻褄合わせによる違和感の肥大化

 由井正雪の『私の見た光は勘違いでした!』という手のひら返しもだが、地右衛門やキャスターの相打ちのくだりも失笑ものだった。

 地右衛門は鬼となった伊織を前にして逃げ出す、という小物っぷり。

 そんな小物っぷりを披露した後にキャスターへ殴り込みにいくという謎の蛮勇。

 なんなの君?小物なのか勇気あるのかはっきりしていただけない?

 

 地獄を見たい、と言っていた地右衛門が逃げ出すのも謎だし、逃げ出した理由も「大した覚悟はなかったやつ」と評すのも復讐の焔を見た後だと違和感あるし、そもそもキャスターに殴り込みにいったのも謎といえば謎。なんで?

 

 『可惜夜に希う』ではキャスターは鄭成功と契約しなおしたそうだが、鄭成功の知らないところであっけなく撃沈される始末。

 

 『セイバーが宮本伊織を倒す』というどんでん返しどや!をやりたいがためだけに、邪魔と思われるキャラクターを雑に消化した展開にしか見えない。

 

『ジャンヌの炎を呼び寄せるという奇跡が起こった』

 じゃないよ!

 確かに、魔術なんて要素はなんでもありだと思うが、それにしたって出し方というものがあるだろう。

 総じて雑にしか見えない。

 

 自分の読み込みの浅さを棚に上げさせてもらうが、ぜひとも「これでいいんだ!」という意見は是非ご教授願いたい。

 

 

物足りなさや違和感はDLC有り気な気もする

 TYPE-MOONは言わずもがな、FGOを始めとして中々際どい商法を展開している。

 型月商法などと揶揄されもしている。

 コーエー無双シリーズDLCにてトロフィー獲得のための要素追加したりもしている。

 自分は無双OROCHI2において、トロフィー取得のための討伐の敵が出なすぎてDLCを買ったのをよく覚えている。

 

 Fate/Samurai Remnantはインタビューにおいて「DLCは横の広がりを重視する追加要素であり、本作は本作で完結している物語」という回答がある。

 非常に解釈の仕方が広い回答なので、DLCがどの様な展開になるかは未知数だが、本作の詰め込みの甘さ的にも元々DLC有りきのボリュームだったのは想像に難くない。

 

 売り方としては嫌らしいと思うが、TYPE-MOONならば「真のエンディングはDLCで!」と言われても個人的には違和感がない。

 またコーエーコーエーで「トロコンしたい人向けのDLC要素も追加!」という要素を足してきたとしても違和感がない。

 両社ともこの売り方に違和感を持たないような売り方を過去に行ってきている。

※際どい売り方だと理解しつつ、違和感がないほどの歴史を積み上げているのに自分でも驚きを隠せないが……。 だが、これでいい!というファンがいて、買い手がいる以上は正解であるので、文句も言い難い。

 

 なので、大団円エンドや土御門活躍ルートはDLCで!という売り方をされても文句はない(正確には文句を言いたいが言えない)し、大団円ルートがあるならDLCを買いたいとも思う。

※最後のルートが『可惜夜に希う』というのは消化不良が凄い。今現在お腹を壊している最中。

 

 しかし、DLCの中身が別のエンディングではなく、サブストーリー(異傅)の追加がメインであったり、サバイバルモードみたいなアクション要素の追加だとしたら買わないだろう。

 

 願わくば、DLCにてRPGの王道であるルートを作ってもらいたい。